Japanese Arts

鳳仙花 / 島倉 千代子

Jimie 2020. 10. 30. 05:24

島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年昭和13年)3月30日 - 2013年平成25年)11月8日)は、日本演歌歌謡曲歌手東京府東京市(現在の東京都品川区北品川出身、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。

 

1938年3月、品川区北品川に警察官の父・島倉壽雄(としお)、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。

 

1945年(7歳)、長野県松本市疎開。両親の実家がある群馬県桐生市にも半年間、疎開していた事がある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。この時の輸血がのちに千代子が患ったC型肝炎の遠因となった。気持ちの沈んだ千代子のために母・ナカは『リンゴの唄』を聞かせるようになる。後に『この世の花』で歌手デビューを遂げた千代子だが、『この世の花』の作曲は『リンゴの唄』の作曲と同じく万城目正によるもの。

 

1947年(9歳)、東京に戻る。姉の敏子は歌唱力があったが小児麻痺を患っていたために歌手にはなれなかった。大好きな姉のために自分が歌手になると決意。敏子により声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入団。左手に負担の無いアコーディオンを担当。歌唱力があったためボーカルにも起用されていた。地元の品川神社で催されたのど自慢大会には毎回姉妹で参加していた。

1949年3月、童謡『お山のお猿』がテイチクレコードから発売される。ただし誤植(レコード会社の社員によるミスとされている)により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった。

 

1953年(15歳)、品川区の日本音楽高等学校へ入学。歌謡コンクールにも積極的に参加するようになる。1954年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、同社と専属契約。

1955年3月[6](16歳)、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲『この世の花』(同名の映画の主題歌)は半年後に200万枚達成、人気歌手になる(後にテレビドラマでカバーされ、1977年に同名の映画の2作目で再度カバーされる)。1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な速さで新曲を発表。

1957年(19歳)、『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。映画化もされ、自ら主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は『逢いたいなァあの人に』。その後、1976年、1979年にも歌唱)。当時大卒サラリーマンの給料が1万円であったが、千代子は常に財布に2千円入っていた。この年の3月、島倉を殺害しようとした16歳の無職少年が逮捕される。

1958年(20歳)、港区高輪(北品川の隣町)に一戸建てを購入。同年には『からたち日記』が130万枚のヒットとなった。

 

 

NHK紅白歌合戦出場歴

1957年(第8回)の初出場以来、1986年(第37回)まで紅白史上初の30回連続出場を達成。1987年(第38回)は一旦出場辞退したが、「人生いろいろ」で久々のヒットを記録したことを背景に、1988年(第39回)に2年ぶりに復帰出場。1994年(第45回)には「紅白歌合戦45回の歴史を象徴する歌手」として6年ぶりのカムバックを果たし、1996年(第47回)まで3年連続して出場した。2004年(第55回)に「紅白歌合戦に出場してほしい歌手」アンケートで上位歌手15組の中に入ったことから、8年ぶり通算35回目の出場で66歳の当時の紅組最年長出場となったが、これが生涯最後の出場となった。

 

当時17歳でデビューしたばかりの島倉千代子さん

鳳仙花

唄 島倉 千代子

1981

作詩 吉岡 治 / 作曲 市川昭介

 

島倉千代子(1938~2013)全曲集 からたち日記

 

 

島倉千代子( Shimakura Chiyoko) - 鳳仙花(Housenka)

 

鳳仙花

作詞:吉岡治 作曲:市川昭介

やっぱり器用に 生きられないね
似たような二人と 笑ってた
鳳仙花 鳳仙花
はじけてとんだ 花だけど
咲かせてほしいの あなたの胸で

ふいても消せない 酒場(ネオン)の匂い
やさしいあなたが こわいのよ

鳳仙花 鳳仙花
日陰が似合う 花だけど
つくしてみたいの あなたのそばで

おおきな夢など なくてもいいの
しあわせ短い 一年草
鳳仙花 鳳仙花
いのちのかぎり 街の隅
わたしも咲きたい あなたと二人

 

 

島倉千代子 鳳仙花 1981年

 

 

1)
やっぱり器用に 生きられないね
야ㅊ파리키요우니 이키라레나이네
역시 요령 있게 살지 못하네요
  
似たような 二人と 笑ってた
니타요우나 후타리토 와라ㅊ테타
닮은 듯한 둘이라고 웃고 있었지요

 

鳳仙花 鳳仙花
호우센카 호우센카
봉선화 봉선화

 

はじけてとんだ 花だけど
하지케테톤다 하나다케도
툭 터져서 흩어진 꽃이지만

 

咲かせてほしいの あなたの胸で
사카세테호시이노 아나타노무네데
꽃피우고 싶어요. 당신 가슴에

 

 

2)
ふいても消せない 酒場(ネオン)の匂い
후이테모케세나이 네온노니오이
불어도 지울 수 없는 주점의 네온 향기

 

やさしいあなたが こわいのよ
야사시이아나타ㅇ가 코와이노요
다정한 당신이 두려워요

 

鳳仙花 鳳仙花
호우센카 호우센카
봉선화 봉선화

      
日蔭が似合う 花だけど
히카게ㅇ가니아우 하나다케도
음지가 어울리는 꽃이지만

 

つくしてみたいの あなたのそばで
츠쿠시테미타이노 아나타노소바데
모든 걸 다 바치고 싶어요. 당신 곁에서

 

 

3)
おおきな夢など なくてもいいの
오오키나유메나도 나쿠테모이이노
커다란 꿈 따위는 없어도 좋아요

 

しあわせ短い 一年草
시아와세미지카이 이치넨소우
행복이 짧은 한해살이 풀

 

鳳仙花 鳳仙花
호우센카 호우센카
봉선화 봉선화

 

いのちのかぎり 街の隅
이노치노카ㅇ기리 마치노스미
이 생명 다하도록 거리 모퉁이

わたしも咲きたい あなたと二人
와타시모사키타이 아나타토후타리
저도 꽃피고 싶어요. 당신과 둘이서

 

作詞 : 吉岡 治 (요시오카 오사무)
作曲 : 市川 昭介 (이치카와 쇼-스케)
: 島倉 千代子 (시마쿠라 치요코)

<1981年>

 

 

鳳仙花***島倉千代子

 

 

2010年12月に肝臓癌を発症したことが判明、手術・入退院を繰り返していた

2013年11月8日 満75歳没。 死因は肝臓がんだった。

 

戒名は寳婕院千代歌愛大姉。

故郷・北品川の臨済宗東海寺大山墓地に生前に建てていた墓に眠る。

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