Japanese Arts

後編 日本で初めての童謡 I

Jimie 2021. 8. 12. 19:01

 

青木慶則のソロ変名ユニット。シンガーソングライターでありながら、CMや映画、演劇の音楽制作、歌唱、ナレーション等でも活躍。NHKみんなのうた「ウェイクアップ!パパ!」、Eテレ0655「きょうの選択」など、幅広い年齢層に響く歌声を持ち味としている。最新作は2016年3月に再リリースしたチャリティアルバム「南三陸ミシン工房のうた」。www.harcolate.com

 

 

前回に続き、秋田が生んだ作曲家・成田為三さんのことを追ってみたい。大正6年に東京音楽学校を卒業した為三さん。翌年には「浜辺の歌」が楽譜として出版され、華々しいデビューを飾ったのは前回も書いた通り。そのかたわらで、教師として佐賀で1年間、東京で2年間、学校の教壇に立っていた。

そんななか、小説家・児童文学者の鈴木三重吉みえきちが主宰した子どものための雑誌「赤い鳥」の刊行が始まる。北原白秋(きたはらはくしゅう)芥川龍之介(あくたがわりゅうのうすけ)、三木五郎など当時の代表的な文学者が集まり、文学だけでなく音楽の楽譜も、子どもたちのために掲載していこうという声が高まった。

 

「浜辺の歌」の実績を買われたのか、さっそく「赤い鳥」第2号で為三さんに声がかかる。そこで為三さんが作曲したのが「かなりや」。これが日本で最初の童謡となり、「赤い鳥」専属作曲家となった為三さんは、ほぼ毎号のように童謡を発表していくことになった。

為三さんの先生であった山田耕筰や、近衛秀麿(このえひでまろ)など有名な作曲家たちも、為三さんの後に続く形で「赤い鳥」に曲を発表するようになる。今では子どものための音楽は当たり前のように存在するけれど、数多ある日本の童謡の最初の流れを作り出したのは、まぎれもなく為三さんだったのだ。

ここで少し僕のことを書かせてもらうと、これまでシンガーソングライターとして活動するかたわら、コマーシャルの歌やナレーションなど、テレビから流れる「声」の仕事もいろいろとさせてもらっていて、そんななか「NHK みんなのうた」をはじめ、子ども向けのテレビ番組の歌を担当したり、作曲をしたりすることも増えてきた。

 

それはもしかしたら、僕の声の特徴によることも大きいのかもしれない。大人っぽく歌おうとしても、あどけなくなってしまうのがコンプレックスでもあったのだけど、それを子どもたちが気に入ってくれたのならと思うと、報われた気持ちにもなった。でも、そんな日本の子どもたちが昔から歌ってきた「日本の童謡」を、僕はちゃんと掘り下げて勉強したことがなかった。

 

実を言うと、今までの僕はドミソのCのコードだったら最後はドで終わるような、誰にでも分かりやすく作られた音楽があまり好きではなかった。洒落が効いていて、奥が深くて、前衛的で……そんな音楽ばかり聴いたり書いたりしてきた。

 

 

でも「浜辺の歌音楽館」1階のリスニングルームで為三さんの作品をたくさん聴かせてもらっているうちに、突然、自分のなかで「童謡スイッチ」が入る。ああ、こんな風に心にスッと入ってくる音楽を、もっとたくさん歌ってみたいな。子どもには歌の楽しさを、大人には淡い郷愁もプラスして。

 

 

リズムが小気味よく跳ねていて、コロコロ転がるような可愛らしいメロディが為三さんの童謡には多く、僕の声質には特にそんな曲が合っているような気がして、何度も聴いてみる。「犬のお芝居」「赤い鳥小鳥」「葉っぱ」「ちんちん千鳥」僕が最終的に選んだのは、この「りすりす小栗鼠(こりす)」というとても短い曲。