【松井須磨子(まつい すまこ)さん】(1886-1919)
二度の離婚、美容整形とその後遺症に苦しめられながらの名演、島村抱月とのスキャンダル、日本初の歌う女優としてのヒット曲と発禁騒動、そして抱月死後の後追い自殺と、その波乱の短い生涯は多くの小説や映画、テレビドラマとなっている。
「では急ぎますから」
新劇女優 松井須磨子(1886~1919)
その生きざま…
結婚に失敗して長野県松代から上京。坪内逍遙の主催する文芸協会
演劇研究会の第一期生となり、公演「人形の家」のノラ役で一躍スターとなる。
「カチューシャの歌」で一世を風靡する。
だが、逍遥門下で演劇指導者としても活躍していた
島村抱月(ほうげつ)とのセンセーショナルな不倫の恋で、
協会を追われることとなる。
家庭と早稲田大学教授の地位を捨てた抱月とともに芸術座を結成。
人気はますます高まった。
公私ともに充実しているかに見えたがそんな時に、
抱月が当時大流行していたスペイン風であっけなくこの世を去ってしまう。
須磨子は抱月を継いで芸術座の座主となるが、
抱月を思い、折にふれ涙を流す生活を送る。
その死にざま…
抱月を失って、すでにその後を追う決心をしていたらしい。
その翌年、抱月の二ヶ月目の命日である一月五日、時刻も同じ午前四時。
三通の遺書を残して首つり自殺をしてしまう。
「では急ぎますから」は兄に残した遺書の末尾に書かれていた。
まるで、普段の挨拶のように書き置いて、愛しい人のもとへと
はやる気持ちが託されているよう。享年三十四歳。
カチユシヤの唄- 松井須磨子(まつい すまこ)
https://www.youtube.com/watch?v=fbbrot0eN3Q
松井須磨子
カチューシャの唄(復活唱歌)
作詞:島村抱月・相馬御風
作曲:中山晋平
カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて淡雪とけぬ間と
神に願いを ララ かけましょか
카츄샤 가여워라 이별의 괴로움
적어도 가랑눈 녹기전에
신에게 기원을 랄라 빌어볼꺼나
カチューシャかわいや わかれのつらさ
今宵一夜に降る雪の
明日は野山の ララ 道かくせ
카츄샤 가여워라 이별의 괴로움
금일 하룻밤에 내리는 눈의
내일은 산과들 랄라 길을 감추리
カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて又逢うそれまでは
同じ姿で ララ いてたもれ
카츄샤 가여워라 이별의 괴로움
적어도 다시 만날 그 때까지는
같은 모습으로 랄라 있어 주어요
カチューシャかわいや わかれのつらさ
つらい別れの涙の隙に
風は野を吹く ララ 日は暮れる
카츄샤 가여워라 이별의 괴로움
괴로운 이별의 눈물의 틈새
바람은 들에 불고 랄라 해는저무네
カチューシャかわいや わかれのつらさ
広い野原をとぼとぼと
一人出て行く ララ 明日の旅
카츄샤 가여워라 이별의 괴로움
넓은 들판을 뚜벅 뚜벅 걸어
홀로 나아가는 랄라 내일의 여정
大正の流行歌(はやりうた)
다이쇼의 유행가
大正2年に島村抱月と松井須磨子が立ち上げた劇団「芸術座」は、ヒットを飛ばしたものの、劇団員の離脱がつづき、大正7年11月に島村がスペイン風邪で急死、2ヵ月後には松井が島村の後を追って自殺。芸術座は解散となったとのことです。
다이쇼 2년 시마무라 다카즈키와 마츠이 스마코가 시작한 극단 '예술자리'는 히트를 날렸지만, 극단원의 이탈이 계속되고, 다이쇼 7년 11월에 시마무라가 스패인 감기로 급사, 2개월후에 마츠이가 사마무라 뒤를 쫓아 자살, '예술자리'는 해산되었다는 것이다。이노래는 일본의 제일 최초의 '가요곡', 극단 '예술자리'의 제3회 공연, '부활'의 극중 노래로 1914년(다이쇼 3년)에 발표되었다。
この歌は日本の一番最初の "歌謡曲" ともいわれ、劇団 "芸術座" の第3回公演、「復活」の劇中歌として1914年(大正3年)に発表されました。
이노래는 일본의 제일 최초의 '가요곡'이라고도 하는데, 극단 '예술자리'의 제3회 공연, '부활'의 극중 노래로 1914년(다이쇼 3년)에 발표되었다。
翌1915年(大正4年)には松井須磨子の歌唱によるレコードが「復活唱歌」の題名で発売されて爆発的に流行し、切手にもなっています。
다음해 1915년(다이쇼 4년)에는 마츠이 스마코의 가창에 있는 레코드 '부활창가'의 이름으로 발표되자 폭발적으로 유행하였고, 우표로도 나오게 되었다。
トルストイの晩年の長編小説「復活」は … 身分も高く、広大な土地を有し、何もしないでも豪勢な暮らしをする ネフリュードフ公爵とカチューシャのお話です。 ある時、陪審員として裁判に出席したネフリュードフは被告の女性を見て驚きます。それはかつて自分が弄び 無残に捨ててしまったカチューシャだったのです。
톨스토이의 만년의 장편소설 '부활'은 ...신분도 높고, 광대한 토지를 가지고, 아무 것도 하지 않아도 호세한 생활을 하는
네프류도프 공작과 카츄샤의 이야기다. 어느 때 배심원으로 재판에 참석한 네프류도프는 피고 여성을 보고 놀란다. 그것은 과거 자신이 망설이고 무잔에 버린 카츄샤였던 것이다.
カチューシャはネフリュードフの叔母の家の下働きの娘だったのですが、ネフリュードフの子供を身ごもったために、その家を出されてしまいます。赤ん坊は生まれてすぐに死んでしまい、それからのカチューシャは、娼婦にまで身を落とし…ついには殺人に関わってしまいます。殺意がなかったことが認められ 本来なら軽い刑罰で済むはずだったのに手違いで シベリアへの徒刑が宣告されてしまうカチューシャ…。
카츄샤는 네프류도프의 이모의 집 아래 일하는 처녀였지만, 네프류도프의 아이를 낳았기 때문에 그 집을 쫓겨난다. 아기는 태어나자마자 죽어 버리고, 그 후 카츄샤는 창녀까지 몸을 떨어뜨리고... 마침내 살인에 관여하게 된다. 살의가 없었던 것이 인정되어 본래라면 가벼운 형벌로 끝날 것이었는데도 실수로 시베리아에로 도형이 선고되어 버리는 카츄샤...
ここまできて初めてネドリュードフはカチューシャをそんな境遇に追いやった 自分の罪 の意識に目覚めます。 恩赦を求めて奔走しついにはカチューシャとともに旅をして…彼女の更生のために自分の人生を捧げる決意をするのです…。
여기까지 처음으로 네드류도프는 카츄샤를 그런 처지로 쫓아낸 자신의 죄 의식에서 깨어난다. 은사를 요구하고 분주하고 마침내 카츄샤와 함께 여행을 하고... 그녀의 갱생을 위해 자신의 인생을 바칠 결의를 한다.
ただ、どこからともなく聞き覚えていた「カチューシャの唄」というひとつの歌には、こんな背景があったのですね。 … (Mayu)^^
단지, 어디서나 듣고 기억하고 있던 '카츄샤의 노래'라고 하는 하나의 노래에는, 이런 배경이 있었네요...(Mayu)
1945年(昭和20年)〜1949年(昭和24年)の間に発売されたヒット曲を厳選20曲紹介!!
https://www.youtube.com/watch?v=Dp-uY12otOc
'Japanese Arts' 카테고리의 다른 글
東京の椿姫(つばきひめ)/津村 謙( つむら けん ) (0) | 2024.05.18 |
---|---|
新田八郎 - 南洋航路 (ラバウル小唄) (0) | 2024.05.18 |
故郷の灯 - 高峰三枝子 - 故郷の廃家/ カチユシヤの唄 (0) | 2024.05.18 |
故郷の灯 / 高峰三枝子 (0) | 2024.05.18 |
愛国の花 渡辺はま子 (0) | 2024.05.18 |